試行錯誤の日々
もう随分と長い付き合いになる友達のバンドがある。度重なるメンバーチェンジを経験してきたこのバンドから、また1人のメンバーが抜けることになった。
これで、このバンドのオリジナルメンバーがわずか3人となる事になる。対して、バンドを去っていったのは7人。
微力ながらも、彼らの手伝いをし、模索や葛藤、変化を近い位置で見てきた僕も、この話は各人から個別に聞いていた。そして、これが公にされたのは、先週の終わりのこと。
そのバンドが好きだった人々は、一様に驚き、ショックをうけている。そして、メンバーも1人1人の人間として、傷ついている。家族を失うようなものだ。その痛みは計り知れない。
今、それぞれが、この事実をいかに受け入れるか、いかに気持ちを前に持っていくか葛藤している。
しかし、このような別れは、1人きりで生きていない人間には、常に続いていくものだ。
主体が何らかの目的を持って進むものとして存在する以上、この痛みは必ず伴う。その目的に自らを重ねきれなくなった者が、その場を去るだけなのだ。事情は千差万別だが、それが生きながらにして訪れる別れの本質であるように思う。
それでも、何か言いようのない気持ちは生まれる。去りゆく人に言いたいことや、伝えたい気持ちがある。
しかし、僕が1番に見つめるべきと考えるもの、声をかけたくなるものはそこではない。主体に属し、戦いを続ける者に「ショックを受けてうつむいてばかりいても仕方がない」と、自分なりの前進する術を提案する。
いつだって、ポジティブに見つめられるものばかりが、目の前にあるわけでない。むしろ気を落とす事実ばかりが目に付く。それは当たり前なのだ。完全でない以上、誤りを探せば必ず見つかる。
そのような状況にあっても、前を見つめ、強がりでも声を大にして、周囲に訴え、行動を続けなければ、状況は変わらない。いくつかの経験から僕はそれを知っている。
ちょうど4年前。何かを変えたくて、悩み続ける20歳の僕が居た。12月になると、目をつぶって、勢いつけて社会に飛び込んでいた。
1年前、人を雇うことを決めても、出来上がった仕組みから飛び出し、自分の力でお金を生むことに自信を持てない僕が居た。
過去の自分を思い返し、かつての弱い自分の方が、人の気持ちをより理解していたのではないかと不安になる事がある。しかし同時に、社会の仕組みを、より理解している自分が居ることにも気づく。
正直なところ、どちらが良いのかはわからない。ただし、戻りたいとは思わないこと。進まなければならないと決意することだけは偽りのない事実だ。
あるべき姿を知らず、実現出来ない者と、あるべき姿を知ってなお、実現しない者。確実にマズイのは後者である。
今の自分は、あるべき姿を知ってなお、実現出来ない者だ。これはなかなか苦しいが、絡まった糸をほぐし、紡いでいくことはなかなか楽しいことでもある。
冒頭に挙げた彼らや、それを取り巻く人々にも、今回の出来事を成長痛なのだと信じ、試行錯誤を続けて欲しい。そして、いつか全員に、笑って振り返ることの出来る日が、訪れることを願いたい。
Continuing the discussion...
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